おなかが痛い
タグを使ってハイパーテクストメイキャップランゲッジで書くのが如何に大変か、こっちに慣れてしまったら忘れていました。
三月三十一日と、三月十六日の日記を書けば後は終わりなんですが…。
さて、この間、いつもの様に英語を中学生に教えて戻ってくると、去年まで教えていた弟子八号(ナンバリングは適当)が、基礎演で『「Requiし」とは何か?』について発表することになったから、と泣きついてきた。
教官誰?ときくと、Y内先生(Icerambの大家)だそうで、大変だな〜とは思いましたが、今日は世界史モードじゃなくて英語なんだけどな…。
と言うか普段何も考えてないのがばれそうなので、大変困ったのですが、中島敦の「文字禍」って読んでごらんとか言ってお茶を濁す。あとは、城戸先生の「●グナ◆ルタの…」とか、ウチのボスの一般向けの読み物とか…。まあ、ほらよく言うじゃないですか、ギボンにとって衰亡していたのではローマではなく、アングルテールだったって。
まあ、中島敦の話は、その昔もしたかもね…。
アッシュルバニパル王の話。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/622_14497.html
ある日若い歴史家(あるいは宮廷の記録係)のイシュデイ・ナブが訪ねて来て老博士に言った。歴史とは何ぞや? と。老博士が呆(あき)れた顔をしているのを見て、若い歴史家は説明を加えた。先頃のバビロン王シャマシュ・シュム・ウキンの最期(さいご)について色々な説がある。自ら火に投じたことだけは確かだが、最後の一月(ひとつき)ほどの間、絶望の余り、言語に絶した淫蕩(いんとう)の生活を送ったというものもあれば、毎日ひたすら潔斎(けっさい)してシャマシュ神に祈(いの)り続けたというものもある。第一の妃(ひ)ただ一人と共に火に入ったという説もあれば、数百の婢妾(ひしょう)を薪(まき)の火に投じてから自分も火に入ったという説もある。何しろ文字通り煙(けむり)になったこととて、どれが正しいのか一向見当がつかない。近々、大王はそれらの中の一つを選んで、自分にそれを記録するよう命じたもうであろう。これはほんの一例だが、歴史とはこれでいいのであろうか。
賢明(けんめい)な老博士が賢明な沈黙(ちんもく)を守っているのを見て、若い歴史家は、次のような形に問を変えた。歴史とは、昔、在った事柄(ことがら)をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?
獅子狩(がり)と、獅子狩の浮彫(うきぼり)とを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌(しる)されたものである。この二つは同じことではないか。
書洩(かきも)らしは? と歴史家が聞く。
書洩らし? 冗談(じょうだん)ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子(たね)は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。














